サイエンスフィクションベオグラード

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サイエンスフィクション・ベオグラード
エンキ・ビラルとアレクサ・ガイッチの作品から異なる現実を想像する

スルジャン・トゥニッチ

このエッセイは、SFの批評的可能性に関する2部構成の「ミニシリーズ」の第2弾です。第1弾では、SFが社会批評としてどのように機能するかを考察し、様々な文学技法や装置について論じました。第2弾では、具体的な例としてエンキ・ビラルとアレクサ・ガイッチの作品を取り上げ、バルカン半島の文脈に基づいた分析を展開します。(最後まで読み進めていただければ、きっと驚きの展開が待っているはずです…)

セルビアのSF作家ミロヴァン・ミロヴァノヴィッチは、ユーゴスラビア内戦(1991~1995年)のさなかに執筆した論文「Vreme kao ključna odrednica SF žanra(SFの現実)」の中で、当時のバルカン半島のほとんどの人々の日常生活から乖離しているように見えると述べています。彼によると、SF小説における斬新な要素が読者に受け入れられるためには、単なる現実逃避ではなく、現実的な歴史的背景が必要だということです。SFは未来を想像し、現在とは乖離しているものの、常に特定の場所や歴史から派生しています(SFの歴史的傾向の変遷を示すこちらの図も参照)。

例えば、20世紀の50年代、核戦争の脅威が世界を覆い尽くしていた頃、SF作家にとって他にどんなテーマが好まれたでしょうか?その後、70年代初頭には、世界が生物学的破滅の渦に飲み込まれつつあるという認識が広まり、環境問題への意識が高まりました。これは単に特定の時期に特定のテーマが頻繁に登場したというだけのことではありません。20世紀初頭、40年代、60年代、そして現代とは全く異なる考え方が広まっていたことを示しています。今日の世界は5年前、10年前とは大きく異なり、それはSF文学にも強く反映されています。

ベオグラードは、20 世紀の南スラブ連合のあらゆる形態の首都として、国家権力の表現や、さまざまな未来像を想像する戦場として重要な位置を占めています。

ここでベオグラード(そしてバルカン半島全般)が物語に登場します。20世紀における南スラヴ諸民族連合のあらゆる形態における首都であったベオグラードは、国家権力の表象において、そして未来を巡る多様な想像の戦場として、重要な位置を占めてきました。本書では、SFジャンルで活躍する二人の現代コミック作家、エンキ・ビラルとアレクサ・ガイッチを通して、そのイメージと解釈を考察します。前者はユーゴスラビア系で長年フランスを拠点としており、後者はセルビアに在住しています。二人ともコミックや映画にベオグラードを登場させており、主にフランス市場向けに活動しています。問題の作品は、ビラルの『Bunker Palace Hôtel』(1989年)と『Le Sommeil du monstre』(英語では『The Dormant Beast』、別名ハッツフェルト四部作、1998年~2007年)、そしてガイッチの『Technotise』(コミック、2001年)と『Technotise: Edit & I』(映画、2009年)です。...