世界で初めて記録された妄想型統合失調症患者

世界で初めて記録された妄想型統合失調症患者

*この哀れな男は、恐怖政治のさなか、フランスの刑務所でギロチンを待つ間に精神を病んだ。これは、どんなに強い者でも正気を失わせるような経験だった。

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ジェームズ・ティリー・マシューズ

「エアルーム」[編集]

マシューズによるエアルームのイラスト。

マシューズは、ベスレム近郊のムーアフィールズにあるロンドン・ウォールに、空気化学に長けた犯罪者やスパイの一団が住み着き、「エア・ルーム」あるいはガス電荷発生装置と呼ばれる機械から放射される光線を使って彼を苦しめていると信じていた。光線による拷問には、「ロブスター割り」(磁場によって血液の循環を遮断する)、「胃の皮剥ぎ」、そして頭蓋骨に液体を注入する「ナツメグおろし器を使った脳卒中」などがあった。彼を迫害した者たちは、「ミドルマン」(エア・ルームを操作した)、「グローブ・ウーマン」、「サー・アーチー」(マシューズの拷問を増幅させたり、機械の活動を記録したりするために「中継者」または「活動的な心配者」として行動した)といった名前で呼ばれ、彼らのリーダーは「ビル、あるいはキング」と呼ばれていた。

マシューズの妄想には明らかに政治的な偏向があった。彼は、このギャングの目的はスパイ活動であり、ロンドン中にエア・ルームを装備した同様のギャングが多数存在し、「空気圧操作者」を使って「揮発性磁性流体」で潜在的な犠牲者を「予め磁化」していると主張した。マシューズによると、彼らの主な標的は(彼自身以外では)政府高官たちだった。彼らは「光線」を使って大臣たちの思考に影響を与え、心を読むことができた。マシューズは、ウィリアム・ピットがこれらの攻撃に「半端ではない」と断言し[3]、これらのギャングが1807年のブエノスアイレスと1809年のワルヘレンにおけるイギリス軍の惨敗、そして1797年のノールの反乱の責任を負っていると主張した…。

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