責任あるIoTの現状 2019

責任あるIoTの現状 2019

一方、Things-Landでは

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社説

2019年は「監視資本主義」という言葉が真に定着した年です。ダムが決壊し、劇的な出来事がディストピア的な現実の到来を告げた年というわけではありません。むしろ、経済学者ショシャナ・ズボフによる「監視資本主義」という言葉の導入と、それが進行する悪化によって、1984年が到来したばかりではなく、私たちはすでにそれを過ぎ去っているかもしれないことが明らかになった年と言えるでしょう。

デザインとテクノロジーの分野では、ユーザー中心設計のメリットとされるものによって、開発は徐々に進みました。1990年代には、デジタル製品の開発においてユーザーを中心に置くことが課題でしたが、今日では、この善意に基づく哲学は、個人と、
個人が暮らす社会の両方にとって脅威となっています。西洋の豊かな社会において、個人は、すべてが自分のニーズを満たすことを中心に回っているという事実に慣れてしまっています。

製品、サービス、そしてプロセスのデジタル化により、ソフトウェアはユーザーを常に、そして全く気づかれることなく監視することが可能になります。そして、それは従来のソフトウェアに留まりません。オフィス、家庭、そして都市における日常的なモノのネットワーク化など、私たちの生活空間全体にデジタル技術を統合することで、個人の完全かつ生涯にわたるデータプロファイルを生成することができます。

本質的には、監視資本主義とは、私たちのオンライン生活を監視し、収集したデータを加工・変換してターゲティング広告パッケージを作成することで収益を上げるテクノロジー企業の現在の経済モデルを指しています。データの質が高ければ高いほど、私たちは期待されていること、つまり表示されたものを購入する可能性が高くなります。つまり、監視資本主義は単なる経済モデルではなく、私たちの行動を制御する手段なのです。

ユーザーが個人データが利便性を実現するための通貨であることを知らないわけではない。しかし、ほとんどのユーザーは、その代償を知らないか、あるいは知ろうともしない。なぜなら、データを使って作られたツールが提供する利便性に夢中になっているからだ。企業も、顧客を犠牲者にしてはならない、むしろ搾取できるということを密かに知らないわけではない
。彼らはただ、最先端のユーザー志向とデジタルディスラプションという見せかけで自らを覆い隠しているだけなのだ。テクノロジーと市場経済による社会の進歩に揺るぎない自信を持つあまり、麻薬の売人と顧客のような不健全な相互依存関係を生み出してしまったように思える。

皮肉なことに、テクノロジーは社会的責任を伴って活用されれば、依然として多くの既存の問題を解決できるにもかかわらず、企業がこの視点を取り入れるのは、それが成果につながる場合に限られることが多い。実際、多くの注目は欧州連合(EU)に向けられており、EUは長い苦闘の末、2018年にGDPR(一般データ保護規則)を施行した…(((などなど)))