*1100年代の貴族の女性たちは、トルバドゥールが立ち寄って自分の美しさに見とれて死んでいくのをただぼんやり待っていたわけではありません。この女性は、アリエノール・ド・アキテーヌの波乱万丈な宮廷生活に匹敵するほどの輝かしい経歴の持ち主です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Hodierna_of_Jerusalem
エルサレムのホディエルナ(1110年頃 - 1164年頃)は、トリポリのレーモンド2世との結婚によりトリポリ伯爵夫人となり、1152年から1155年まで息子が未成年の間、トリポリ伯領の摂政を務めた。
オディエルナは1135年頃、トリポリ伯レーモン2世と結婚した。オディエルナは姉妹たちと親しく、1148年にトゥールーズ伯レーモン4世の息子、トゥールーズ伯アルフォンス1世がトリポリ伯領を主張しに来た際、メリザンドにアルフォンス1世の暗殺を手配するよう依頼した可能性もある。(((たまに手に負えない請求者を倒せないのなら、姉妹は何のためにいるのだろう?)))
オディエルナは、1150年から1152年にかけてメリザンドと息子ボードゥアン3世が争った際、彼女を支援した。メリザンドは1152年までに敗れたものの、ナブルスに小さな領地を与えられ、そこで彼女とオディエルナはラテン総主教の選出に影響を与えることができた。
摂政
1152年、オディエルナは夫トリポリ公レーモン2世と争いの真っ只中にあった。オディエルナは姉妹たちと同様に非常に自立心が強かったが、レーモンは嫉妬深い男で、彼女を隠蔽しようとした。娘メリザンド(王妃にちなんで名付けられた)の父親は別の男だという噂さえ流れた。姉のメリザンドと甥のボードゥアンが北へ駆けつけ、仲裁に入った。オディエルナとレーモンは和解に同意したが、オディエルナはメリザンドと共に短期間エルサレムに戻ることも決定された。
トリポリを去ってすぐに、レイモンドはハシュシャシンによって殺害された。(((最初の暗殺者。このあたりの結論は各自で判断してください。))) ホディエルナはすぐに戻って、まだ子供だった息子レイモンド3世のために郡の摂政に就任した。
ボードゥアンは領地貴族の支持を確保し、ホディエルナは、レイモンドの死を聞きつけて侵攻してきたヌールッディーン・ザンギーの攻撃から守るため、トルトサ城をテンプル騎士団に譲渡することをボードゥアンに許可した。ホディエルナは、1155年に息子が成人宣告を受けるまで摂政を務めた。
吟遊詩人ジョフレ・ルーデル・ド・ブライの伝説的叙事詩「ヴィダ」によると、巡礼者たちによってフランスに持ち帰られた彼女の美貌の伝説が、ルーデルの「アモール・ド・ロン」(遠い愛)の歌にインスピレーションを与えたという。物語によると、彼は彼女に会うために第2回十字軍に参加したが、病に倒れ、瀕死の状態で上陸した。知らせを聞いたオディエルナは城から降りてきて、ルーデルは彼女の腕の中で息を引き取ったという。……(((ジョフレが直前にゴブレットを飲んでいなかったことを祈ります。遠くから大声で崇拝しておきながら、現れたのはひ弱な間抜けな男だった、流行に敏感な信奉者ほど腹立たしいものはないでしょう。)))